2010年3月15日月曜日

仮の家

実家はずっと同じところにありますが、実父が単身赴任の転勤族で引越しの経験は多いです。

自分も高校を卒業して、名古屋の学校にいる間に3回引っ越しました。
もちろん、引越しを見越して荷物は最小限でした。

(でも、布団はかさばるので布団圧縮袋がでたときの感動はすごかったです。)

結婚した当初はだんなが東京にいて、それまで三鷹のアパートでしたが、
私のたっての希望で国分寺の一軒家に住みました。

近くには「お鷹の道」というところがあって生水が湧き出て蛍がいました。
他には、忌野清志郎(RCサクセションか?)の歌にあった、多摩欄坂(クニタチだが)も歩いていけました。

バラック、トトロの森、戦前というフレーズが浮かんできそうな
築40年から60年、スレート瓦葺き、平屋、3部屋、風呂なし(前の人が増築してくれた)、汲み取り便所

その一帯は郵政省の官舎で昔は100軒近くあったそうですが
みんな文化的なアパートに移ってしまい
20軒も残っていたでしょうか。
家々の植木が育って、その一角は森でした。

私は行かなかったけど、敷地内には住民用の銭湯がありました。
保育園もそこの子供用だったのでしょう。

家は改造し放題だし(3部屋の子ども部屋を作った人もいた)
ヤギ小屋はあるし、ニワトリは放し飼いでした。
(東京都内だよ)

うちは子猫をもらってきて、野性味あふれる子に育ちました。

でも、そこは国分寺、中央線の駅まで出ると駅ビル丸井があり、
求めれば適度に都会でした。

私が上の子を妊娠したときに石川県の家に戻りましたが
あの家はすごい経験でした。

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